美しい国ニッポンのそこはかと深い闇

 きっこのブログアパグループ耐震偽装ライブドア事件で自殺と処理されたエイチエス証券に」に野口英昭さんのことが取り上げられている。正直、以前ならこんな話は三流週刊誌ぐらいで取り上げられる程度の話題だったはずだ。ところがインターネットの日常化により、それが三流週刊誌でしか取り上げることが出来ない闇だということがわかってきた。とするならば、これまで三流週刊誌が取り上げてきて、それを読んだ一般市民が「あるあ……ねぇよw」と思ってきた事件は闇を浄化しようという小さな正義が世間に浮かんできたということなのかもと思えてきた。もちろんこれは意図的なミスリードですべてがそういうわけではないし、玉石混淆の記事の中には真実も含まれているということだ。

 コールド・リーディングの本を読んでいると、人間というのは基本的に非常に操られる生き物のようだ。しかも意識させられることなく。パーソナルな次元でもそうなのだから、自分とはほど遠い日々起こっている事件などでは何が真実で何が偽装されたものなのか判断は付かず、あるある大事典の例を出すまでもなく検証するという行為すら行われない。そうなると報道する側の良心にかかってくるわけだが、知っての通りマスゴミである。自らを正義と名乗る偽善者である。納豆ダイエットが効くといって盲目に信じ、それがウソとわかって「非道い話だ。信じられない」と平気でのたまっている人間は己のメディアリテラシーの無さを恥じるべきなのだ。もっともその人は自らがリテラシーが無いなどという発想すらしまいがw

 フラのネタを作るために安倍総理の2007年施政方針演説の全文を政府インターネットテレビで見た。そうするとニュースなどでは取り上げられていない部分が多くあった。演説だけで40分もあるからだ。当然ニュースなどは数分、大きく取り上げても数十分なわけで、当然取捨選択され、マスゴミの主張したい都合の良い部分ばかりを抜いてくるわけだ。(安倍総理の演説は当たり前だがまっとうなモノだった。悪く言えば理想主義的すぎ。このうちどれだけ実現できるかがポイントだ。有言実行していただきたいものだ)そして、マスゴミが編集し流したニュースをソースとして我々が判断する。これは極めて危険なことだ。ここで、私はあらゆる情報の一次ソースをデータベースとして保存することを提言したい。その情報ソースを元にマスゴミがどういう風な視点からニュースを提供するのかを検証することが必要だろう。と若輩者は考えるが、若輩者は生きることで精一杯なのだ。余裕があり、知識があり、蓄えのある良識ある団塊の世代の誰かがやれよw


この似非ジャーナリズムしかない新聞やテレビが強大な力を持ち、真のジャーナリズムを貫く人たちが力を持たないこの国はこの先どうなっていくのだろうか?あらためてこの国で生きる不安が頭をもたげた今日この頃。長文失礼しますた。

追記・と思ったらNPOを作ってそういう活動をするという手もあるのだなぁと夢想。速読法練習ついでにNPO設立関連の書籍をあさってみよう。

さらに追記
まんぷく::日記 - マスコミが自分に都合のよいストーリーを作れない時代
 これは編集者からの視点。ソースの全公開は恐ろしいということらしい。