俵万智が肌に合ってるのはベタなのか、それとも俵万智がすごいのか。
これ、わかりやすかった。短歌の中で何にフォーカスを当てるのかをテクニックとして紹介している。改作の例が非常にわかりやすくてよかった。オススメ。サラダ記念日はそれほどぐっと来なかったんだけれど、プーさんの鼻はぐっと来た。私は俵万智の短歌と相性がいいんだろうか。口語で短歌という形に引き寄せられた私だけれども、勉強していくにつれ、そこまで口語に染まっていない俵万智が馴染むというのも面白い。やはり、形ではなく彼女が表している心の機微がいいんだろうなぁ。
しかし、色々、自らの記憶をまさぐって色々短歌を作成しているんだけれど、面白いのは自分が覚えているのはシチュエーションや状況、反応であって、自らの心の動きではないということ。残っているのはシーンであって、フィーリングではない。他の人もそうなんだろうか。なんだろう、これ。どうやら、私はこれまで自分の感情というモノに対してほとんど考察してないようだ。感情の起伏がそれほど無いとも思わないけれど、それほど激しいわけでもない。喜怒哀楽のうち哀以外はそれほど持続しないタイプだ。凹むのだって、切り替えが早いと思う。たまに酷くダウン系が入ってしまうことが1年に1回ぐらいあるけれど。感情ばかりの短歌は作れなさそうだなぁ。そうすると構成を考えて連作でという方がいいんだろうか。
降る雨と晴れの境は見えないがぼくらの境よりはっきりしてる
降る雨と晴れの境は見えないがぼくらの境よりあいまいだろう
先のこと考え過ぎて気がつけば身動きできない明日でミソジ
先のこと考え過ぎて動けない今日からボクはサンジュウニサイ
赤ん坊にふけてゆくと言わんならいくつになっても育っていこうや
ケータイ短歌の「老い」というお題に対して
予備校が潰れて向こうに見えたのはホテルの看板名前は「貴族」
earphoneでハッピーな歌聞きながら遅れもしない電車で揺れる
沈黙に心地いいのもあることを関西人に教えてくれた
間違えた言葉に入れたツッコミが真面目にショックと言われた衝撃