なぜ若者は「半径1m以内」で生活したがるのか?で思索からさらに思索

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 ※注 本文は本の内容にも挙げた記事にも直接関連はありません。それを見て考える、ただの思索です。

 このタイトルを聞いた時、まぁ、ちまたでよく言われる話だと思った。でも、それって日本人として当然の帰結じゃないのかなぁと思ったり。所謂ムラじゃないの?と。ゆるい、ぬるいつながりってムラ的な構造そのものなんじゃないの?と。で、地域型のムラからITを使った精神型のムラに変わってきただけじゃないのか?と。正直、この世代から見たあの世代論的なモノにあまり興味はなく、ある世代の同世代論には多少興味があるかな、という程度。それほど他人の主張に興味はないな。私は最近、精神的にストレスが溜まらない状態を目指していて、色々と試行錯誤している。席を譲るとかも後で譲ってあげれば良かったと後悔するストレスを受けないためにさっと席を譲るとかね。色んなこと、モノでストレスフリーを考えている。もちろん、実際はそんなもの減りゃしないけど。ただ、そう考えることでバランス取ってるみたいなもんだけど。他の若者もそう考えていて、疲れる人間関係とのバランスを取るための「半径1m以内」なんじゃないのかなぁ

 「ありがとう現象」も面白いね。感動をありがとう、かぁ。上の記事で相棒に感動してるんだけど、感動をくれてありがとうと思ったことがない。こういうのって非常に個人的な感情で、一般化しにくい部分だと思う。一方で、巷には感動がありふれている。例えば、映画がすごく泣けるってのが典型的なパターンなんだけど。(スイーツ(笑)という言葉を使いたくて仕方がないが……)もうね、泣かされる映画が大嫌い。コメディ映画で最後ほろりとか、アクション映画で泣くのはやぶさかではないんだけど、感動するために映画を見に行くっていう思考パターンがわからない。そんなにお手軽に感動してる自分が恥ずかしくないんだろうか。もちろん、先に言ったように感動する部分は個々で違うわけだから、ワシが言う筋合いは無いんだけどね。だから、感動映画はほとんど見ないんだけど、はっきり見たと言えるのは「アルマゲドン」 超大作SFを装った感動映画(笑) もうね、色々細かく見ていくとツッコミ所が多すぎなわけだけど、それを感じさせないスピードと父と娘の永遠の別れという力業で、泣かす。あの仕組みはすごい。そして終わった後、泣かされたことに腹が立った。そりゃ、泣くっちゅーの。最近は泣かせ所満載の感動映画(笑)というふれ込みの邦画が多すぎるよなぁ。もっとも見てないので感想なんて書けないけど。興行的に奮ってるのは異常。そんなにお手軽に感動して何がいいのやら……

 と上から読みつつ、部分部分を見て文を書いてたら、結論がほぼ同じだった┐(´-`)┌

 あいかわらずまとめる気がないので乱筆乱文ご容赦。